平岡地区町内会連合会旗

平岡地区町内会連合会旗

平岡の生い立ち  明治5年頃に室蘭街道の開通により駅逓ができ、明治20年頃には旧36号線沿いに長岡商店もでき集落が出来始めました。昭和19年頃までは厚別坂の上と呼ばれていました。昭和35年、6年頃までリンゴ栽培が盛んでした。知名度も広がり清田地区から見ると平らな小高い岡から平岡と名づけられました。

豊かな自然 平岡公園の梅林は6,5haの敷地内に1200本植栽されています。(豊後性の紅梅40%、白梅60%),年間に20万人の来園者があり美しいカラフルな光景とその香りを堪能しています。 

平岡樹芸センター(みどリーム)、樹木の育成相談や、剪定指導をされております。緑豊かで春から秋にかけて庭園観賞が楽しめます、6万人の方が訪れています。

平成25年11月10日、創立20周年記念行事が行われましたその時の記念誌に中川会長が次のように述べられています。(抜粋した記事)            
平岡の地に鍬が入れられましておよそ120年に成ります。大正初期15戸、昭和9年25戸、
入植時は人馬での開墾で大変な苦労をされています。雨、風、雪にめげず開拓に流せし,あせに光る平岡と読まれています。(平岡まちづくりセンター2F資料室、あしりべつ郷土館2F)等,郷土の歴史に触れる事が出来ます。長きに亘る年月の経過の中で昭和9年農事実行組合設立がありました。後年,大規模宅地造成に伴い各町内会が設立されました。平成5年、平岡地区町内会連合会が設立されましたが農事実行組合や、設立準備の役員の皆様にご尽力頂きました、深甚なる謝意を表するものであります。当時17町内会、4558世帯、現在は26町内会、9672世帯と大幅に増加しました。平岡地区が静かでクリーンな街でありますのは長い年月をかけて深い絆を持って思いやりのある町内会活動をされてきた事によるものであります。平岡地区も今後、超高齢化社会、人口減少を迎えますが更に地域活動の重要性が増します。故郷としてこの地に生まれ成長して行く子供達は、平岡での思い出を生涯忘れないでしょう。永住の地として平岡を選び住んでる私たち。災害は予告なしで発生しています、孤独死等無きよう普段から高齢者への助け合い、支え合い優しい街づくりを更に充実していかなければなりません。平岡地区は自然に大変恵まれています、各町内会に公園があり梅公園、樹芸センター競技場等利用出来有難い事です。楽しい各町内会のイベント等街づくりの良き事業を継続し,さらに新たな平岡地区の文化を構築すべく役割を果たして行きますので皆様のご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。