清田区平岡地区には、かつて二里川という川が南から北へ地域の真ん中を縦断するように流れていました。今は埋め立てられ、平らな宅地になっており、かつて深い谷の川があったとはとても思えません。地図からも消えてしまっています。
 2018年9月の北海道胆振東部地震では、平岡地区のかつての二里川沿いで液状化が発生しました。二里川がどこをどう流れていたのか、徹底的に調べてみました。

図①かつて平岡地区のど真ん中を南から北へ流れていた二里川。青線で示している

 清田区の歴史に詳しい了寛紀明さん(元清田小学校長)によると、二里川は図①に示した青線の部分を下(南)から上(北)に流れていました。源流は今の平岡南公園付近と、もう少し上流の国道36号線を越えた付近の2か所で、いずれも湧水から流れ出していたそうです。

平岡イオンの森の池

 今の平岡イオンの森にある池は、かつての二里川の名残です。川はさらに今の平岡中央中学校、平岡中央小学校、平岡地区会館付近を流れて平岡北公園、平岡三角公園と下っていました。

平岡北公園から北に伸びる歩道は、いかにもかつて川だったような佇まい

 平岡北公園のくぼ地は、かつての二里川の谷を彷彿とさせます。ここには二里川の名残と思われる湿地帯があります。

今は大谷地西4丁目から始まる二里川

 平岡北公園から下流は現在、遊歩道のようになっています。谷底のようになっていて、いかにもかつて河川だったような佇まいです。

二里川(向こう側)が厚別川に流れ込む地点

 平岡三角公園から先は、御料線道路を横切り、厚別区大谷地西4丁目16付近に流れ、ここから川は地表に出ます。現在、二里川はここから始まり、南郷通、国道12号線の下をくぐり、国道12号線から約400m先で厚別川に合流します。
 大谷地西4丁目から源流の平岡南公園までの二里川は、平岡地区の宅地造成とともに埋め立ててしまい、今は川はありません。札幌市によると、雨水などは下水道管で処理しているといいます。
 平岡農事実行組合創立60周年記念誌「ひらおか」(平成11年発行)には、「まぼろしの川、二里川」という記事があり、二里川は「昭和50年代中頃から昭和62年までの宅地造成で姿を消した」とあります。そして、「全ての水流が地下深い管道」になったと綴られています。

図②札幌市河川網図。二里川は平岡では埋め立てられ消えている。今の二里川は、大谷地西から厚別川合流点までの短い川になっている

 図②は、札幌市が河川管理のために作成している河川網図です。二里川は大谷地西4丁目から始まっています。その上流の平岡地区には、川はありません。

 大谷地西4丁目には、もう1本の川が流れ込んでいます。北野緑地から流れてくる暗渠河川で、桜川という川です(図②では、緑色の線に丸印がついている)。北野緑地内で長さ40mほど地表に出て、水辺で遊べるようになっています。桜川は二里川の支流と思われます。

図③平岡地区付近の昭和48年航空写真図化。宅地造成前の姿。平岡地区の真ん中を二里川の谷が長く続いていた様子が分かる。左側の黄色い縦線は御料線(厚別滝野公園通)

 図③は、平岡地区の昭和48年航空写真図化(札幌市発行)です。平岡農事実行組合60周年記念誌「ひらおか」に掲載された地図です。宅地開発前の平岡の地形や様子が分かります。これを見ると、平岡の真ん中を下(南)から上(北)へ二里川が流れ、深い谷だったことがうかがえます。
 二里川のおよそ500m東にも川が流れています。これは三里川です。三里川は、ここより少し上流の里塚地区の谷埋め盛り土で液状化による大規模な宅地崩壊が起きました。

図④清田区地形復元図(国土地理院)。左の太い青色部分は厚別川と流域。真ん中の細い青部分が二里川で、平岡を縦断していたのが分かる。その右は三里川

 図④は、国土地理院が昨年の胆振東部地震の後に作成した清田区地形復元図です。宅地開発前の地形を示したものです。平岡地区を流れる二里川が谷となってくっきりと示されています。

図⑤札幌市作成の盛り土マップ。平岡の二里川は盛り土して埋め立てられた(一番左の緑色部分)ことが分かる

 最後に、図⑤は札幌市作成の盛り土マップです。一番左側の縦に長い緑色の部分が、二里川の谷埋め盛り土です。平岡イオンの森付近から平岡北公園付近まで続いています。二里川を埋めて宅地造成したことが分かります。
 数々の地図資料などを調べることで、かつて平岡のど真ん中を流れていた二里川の輪郭が見えてきました。
 2018年9月の北海道胆振東部地震では、平岡のこの盛り土の部分で液状化が発生し、地割れやマンホールの突出、道路沈下、電信柱の傾きなどが見られました。
 液状化は地中の水分の多い所で起きます。かつて川があった所には、地中で水が集まりやすいということなのでしょうか。(「ひろまある清田」より転載)